講演2
乳腺の病理
岐阜大学医学部附属病院病理部 廣瀬 善信
・ 疫学・病因
乳腺腫瘍は年々増加傾向にあり,加えて診断・治療法の進歩と多様化などに伴って臨床側及び患者側からのニーズが複雑化しており,病院病理側からすると最近で最も「七面倒くさくなった」疾患のひとつである。
乳腺腫瘍の悪性バージョンである乳癌は,そもそも本邦では罹患率・死亡率のいずれも低率であったのが最近は急増しており,その原因としてはライフスタイル(食事など)の欧米化などが関与すると考えられている。乳腺発がんの病因としては,乳癌家系の解析からのBRCA遺伝子変異や,最近の乳癌治療に重要な役割を成しているホルモン受容体やHER2タンパクの過剰発現などが関与していると考えられている。乳癌の発生部位としては,乳管末梢のいわゆるTDLU(terminal ductal-lobular unit)であることが概ね信じられている。
・ 病理学的分類
乳腺腫瘍の組織学的分類は,日本乳癌学会編の「乳癌取扱い規約第15版(2004年6月)」に則ったものが全国的に普及している。この本邦での乳癌取扱い規約の骨子は,WHO分類(2003年版)に概ね準拠している。
良性の乳腺腫瘍としては線維腺腫・乳腺症が頻度的にその代表となる。いずれも成熟期女性(〜やや若年)に発生し,病因としてホルモン異常の存在が指摘されている。それぞれの疾患と悪性化の関連についての報告が散見されるものの,現状ではそれらの前癌性病変としての意義については否定的な見解が多い。乳腺症の部分像あるいは単独病変としての乳管過形成(ductal hyperplasia)は,しばしば良悪の鑑別が問題となる。その異型バージョンである異型乳管過形成(atypical ductal hyperplasia,ADH)は,診断基準・疾患独立性・前癌病変としての可能性など,多くの問題点を孕んでいる。乳管内乳頭腫も,時として良悪の鑑別が問題となることがある。これらの乳管内上皮増殖性病変の良悪の鑑別には,乳管上皮を外張りするかたちで存在する筋上皮細胞の有無がポイントになる。乳管上皮と筋上皮が二相に配列する生理的な所見を「二相性がある」と表現し,一般に悪性化すると二相性は消失する。葉状腫瘍は比較的まれな疾患であるが,腺成分に比して間質成分のバランスを欠いた過剰増生が基本となる。組織形態から良性・境界悪性・悪性の3種に区別するが,その判別には結合織成分の異型度が決め手になる。
悪性腫瘍としては,浸潤性乳管癌(硬癌>乳頭腺管癌>充実腺管癌)が大半を占める。これら浸潤性乳管癌の3亜型のうち,乳頭腺管癌が最も組織学的に分化しており,充実腺管癌は中分化程度,硬癌は組織学的に低分化に分類される。それぞれの亜型変化は混在することが多く,異型の程度も検索部分によって区々なことが多い。乳管内進展が見られることもまれではない。一般に,腫瘍成分において面積的に最も優位なものがタイトル診断になりうる。また,乳癌には不規則な石灰化を伴うことが多く,この組織学的変化がマンモグラフィーの読影に利用されているのは周知の通りである。
非浸潤性乳管癌(DCIS)は前述のADHや乳管内乳頭腫との鑑別がしばしば問題になるため,縮小手術における断端検索などで評価に難渋することがある。良悪の鑑別の際に使われる「二相性」はDCISで保たれることがあるため,鑑別の決め手にならない。
特殊型はいずれも比較的まれであり,それぞれの組織変化が腫瘍の一部分にしか見られない場合は,診断基準に留意する必要がある。特殊型の中で比較的遭遇する機会があるものとしては粘液癌・浸潤性小葉癌がある。粘液癌は粘液中に癌胞巣が浮遊しているような特徴的形態を呈するが,mucocele-like tumorとの鑑別を要する。小葉癌の場合は細胞形態が小型でややおとなしく見えるため,小検体などの際には見落としに注意が必要である。また,乳管内進展を示すことが多く,進展先で多発性の浸潤巣を形成することがあり,手術法の選択には慎重を期すべきである。
・ 生物学的特性
臨床的にはTNM分類が行われて,それぞれの症例の病期が決定されるが,手術材料において「浸潤性乳管癌の病理学的悪性度分類」が行われる.それは,浸潤性乳管癌の再発リスクをあらかじめ選定し,術後治療の方向性の決定に参考とされるものである。具体的には,癌の「核異型」と「核分裂」の2つのパラメーターでもって再発リスクを推測しようとするもので,核異型の程度を病理学的に3段階に,核分裂数も3段階にスコア化する。それぞれのスコアの合計を3分類して「核グレード1〜3」として表し,核グレード1は再発リスクの少ないもの,核グレード3は再発リスクの高いものとして認識される。この分類は取扱い規約に採用されており,現状では病理診断時の必須検索項目として求められる。
ホルモン受容体(ER・PgR)およびHER2の発現の検索は,それぞれを標的にした薬物治療効果をあらかじめ類推することが可能になる。一般にそれらのタンパク(あるいは遺伝子レベル)の過剰発現が陽性であれば,それぞれをターゲットとした薬剤(タモキシフェンやハーセプチンなど)の効果が期待できると考えられる。我々の施設でも乳癌と診断されたすべての症例において,原則としてこれらの3種類の検索を施行している(HER2については,浸潤癌の場合にしか行っていない)。これらタンパクの発現量を免染にて評価することには自ずから限界があり,特にHER2免染での境界的な判定の場合にはFISH法による遺伝子量の検索が推奨されている。
最近では,マイクロアレイ解析の結果から乳癌を幾つかの遺伝子型パターンに分けた場合に,基底細胞型パターンを示した癌の予後が有意に悪いという知見が示された。この知見を土台とした診断治療への応用が期待されるとともに,このような遺伝子レベルでの解析は病理解析と相補うかたちで今後更なる新知見を生み出していくものと思われる。
リンパ節転移の有無も有意な予後因子である。最近はセンチネルリンパ節の概念が普及してきており,我々の施設においても術前あるいは術中センチネルリンパ節生検での転移病巣の有無を検討している。
・ 病理検査の実際
切出し法としては,乳房全摘手術材料では乳頭と腫瘍を結ぶ線に平行に割を入れ,温存手術材料(あるいは摘出生検材料)は病変と乳頭を結ぶ線に垂直に割を入れた検索を行う。温存材料および摘出生検材料は,原則として材料を5o幅に全割し,そのすべてを病理標本にする。温存材料に対しては,断端検索が効率よく出来るような切出し法(ポリゴン法)も提唱されており,幾つかの施設にて施行されている。
切り出された検体からは,通常のHE染色の他に,様々な特殊染色・免疫染色が行われる。特に,p63(筋上皮マーカー)・SMA(平滑筋マーカー)・D2-40(リンパ管内皮を同定)・ビクトリア青(静脈壁を認識)などは頻用される。そのほかに,よく利用されている免疫染色用の抗体としては,CD10(筋上皮マーカー),34βE12(基底細胞マーカー),CK8/18(ルーメン側上皮細胞マーカー),AE1/AE3(上皮マーカー),CK7(上皮マーカー),MIB-1(細胞増殖能)などがある。これらの抗体はそれぞれのケースの問題点に応じて使い分けてはいるが,染色結果の解釈については,一つの結果を重視するようなやり方は出来るだけ慎み,HE形態・臨床像も含めた総合的判断をするように心懸けている。
検鏡診断時には,「腫瘍の広がり」「断端の状態」「乳管内進展の程度」「脈管侵襲」「核グレード(後述)」を検討して,最終的にはこれらの検索項目結果をすべて網羅したかたちで病理報告書が作成される。
生検の報告様式については,取扱い規約にある「針生検の病理診断報告様式」に則った報告を行っている施設もある(当院では未採用)。この報告様式は,生検診断の限界を考慮して作られた様式で,まず病理検体の質的量的な適正度(病理診断に耐えうる検体が採取されているか)を判断した後に,正常あるいは良性・鑑別困難・悪性の疑い・悪性の4段階に分ける判定様式となっている。これによって,生検後の臨床的な扱いの方向性がわかりやすいように工夫されている。
当院において生検診断で心懸けている点としては,無理な診断は極力避けることが挙げられる。早期あるいは境界病変の鑑別にはこれまでの形態学の限界も指摘されており,臨床側とのコミュニケーションを保ちつつ,場合によって再検や摘出生検を求めていくことが重要と考える。